兵庫県知事をつとめる斎藤元彦さん。
座右の銘は『雲中雲を見ず』です!
今回は、そんな斎藤さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1977年〈昭和52年〉11月15日
出身地 :兵庫県神戸市
最終学歴:東京大学経済学部
家族構成:
【実 家】父親、母親、弟
【独立後】妻、息子(真偽不明)
◆実家は白亜の豪邸
斎藤元彦さんは兵庫県神戸市須磨区の出身。
実家は普通のこぢんまりとした家でしたが、斎藤さんが中学入学後、市内の高台にある白亜の豪邸に移りました。
小学校は、神戸市立若宮小学校に通いました。
当時住んでいた衣掛町は、須磨海岸や須磨水族園が近い、アットホームな地域でした。
小学校を卒業し、愛媛県松山市にある愛光学園中学校・高等学校へ進学。
実は第一志望は神戸の六甲中学校だったのですが、ダメだったみたいですね
受験に敗れ、一人遠い四国の地へ。
心細かったと思いますが、行ってみると実に楽しい6年間でした。
建学の精神。
特色ある校風。
寮生活を共にした同級生は「生涯の友」となり、今でも年に数回、神戸で集まっています。
大学は一浪を経て東京大学経済学部へ進学。
初めての東京でのひとり暮らしは、気ままに暮らし、あまり授業に出席しない日々でした。
そして案の定、留年。
このままでは駄目だ…
そう思った矢先、平成不況で、実家の家計が急変しました。
一時は在学継続をあきらめかけたのですが、育英会の奨学金に救われます。
ここで初めて、セーフティーネットの重要性に気づき、行政・政治の道に進むことを考えはじめました。
そして大学卒業後は、総務省へ入省しています。
◆祖父・大澤伸剛
斎藤元彦さんの母方の祖父の名前は、大澤伸剛(おおさわ・のぶたか)さん。[1]
祖父は神戸市長田区と須磨区でケミカルシューズ製造業(大澤ゴム工業所、大澤産業)を営んでいました。
日本ケミカルシューズ工業組合の理事長も務める産業界の大物で、元兵庫県知事の金井元彦(かない・もとひこ)さんの有力支持者でもありました。
斎藤さんの「元彦」という名前は、金井知事にあやかって祖父から命名されたものです
小さい頃から、祖父が経営の厳しさ・大変さについて話しているのを耳にしました。
その記憶が積み重なり、
地場産業を大切にしたい!
と思ったことが、斎藤さんが政治を志す原点になっています。
◆父親
斎藤元彦さんの父親は、祖父の会社の監査役に就任していた時期があります。[2]
◆母親
斎藤元彦さんの母親は、大澤伸剛さんの娘となります。[2]
◆弟
斎藤元彦さんには、そこまで年が離れていない弟がいます。[2]
◆パリ生まれの妻
斎藤元彦さんの奥さまは、パリ生まれの帰国子女。[3]
義父(奥さまの父親)は三井物産勤務後に新日本空調の社長を務めた人物で、義父が商社員時代に生まれたのが奥さまでした。
奥さま自身は慶応大学出身で、大学時代にはラクロス部に所属したという文武両道の才女。
卒業後は三菱UFJ銀行に勤め、2008年に退社しています。
◆息子が一人
斎藤元彦さんと奥さまの間には、息子さんが一人いると言われています。
斎藤さんのパワハラ疑惑で騒動となった時には転校を余儀なくされたと言われていますが、真偽のほどは定かではありません。
◆まとめ
これまで見てきた通り、斎藤元彦さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
◇脚注
- 週刊文春 2024年9月26日 兵庫・斎藤元彦知事が陥った親族との“絶縁トラブル”〈「週刊文春」が本人に聞くと…〉
- FLASH 2024年8月5日 兵庫県・斎藤知事「パワハラ男」の原点…同級生が証言する “自慢の里帰り”、祖父は「地元の大物」実家は「白亜の豪邸」
- 週刊文春 2024年9月19日 兵庫県知事・斎藤元彦(46)辞職を阻んだ“パリ生まれ妻”
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