椎名林檎の『家族』~2人の夫、2人の子供たちと紡いだ“NIPPON”の心

新宿系“個性派シンガー”から、オリンピックの“演出家”までもこなす、椎名林檎さん。

今回は、そんな林檎さんを育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

【本人プロフィール】
名前:椎名 林檎(しいな・りんご)
出生名:椎名 裕美子(しいな・ゆみこ)
生年月日:1978年11月25日(40歳)※2018年11月現在
身長:167cm
血液型:O型

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◆序章…浦和で出生

椎名林檎さんは、埼玉県浦和市(当時)の生まれ。

生後まもなく『先天性食道閉鎖症』と診断されています。

これは、生まれつき食道が途中で途切れている状態で、約5,000人に1人の割合で発生。

ミルクが飲めないため、上下の食道どうしを繋ぐ手術が必要で、林檎さんも2日間にわたる大手術を受けています。

この際に右の肩甲骨付近にメスを入れられた影響で、左右のバランスが取れない障害が残ることに。

林檎さんは幼少期から、ピアノとバレエを習っていました。

このため、森下洋子さん(世界的なバレリーナ)が編集したバレエのレッスン用レコードが、少女時代の子守唄でした。


森下洋子 バレリーナの情熱

◆小学校時代は清水で育つ

蝉の声を聞くたびに 目に浮かぶ九十九里浜
皺々の祖母の手を離れ 独りで訪れた歓楽街
『歌舞伎町の女王』より♪

歌のイメージが強いため、椎名林檎さんは子供時代を千葉県で過ごしたイメージがあります。

実際には、林檎さんは小学校に上がる前に、父親の転勤により静岡県清水市(当時)に移り住みました。

この頃、好きだったのは『風の谷のナウシカ』。

もちろん(?)安田成美さんのデビュー曲の方ではなく、サントラ集の方です(^_^;)


風の谷のナウシカ [ 安田成美 ]

林檎さんが通った小学校は、清水有度(しみずうど)第二小学校。

小学校時代のエピソードと言えば、ホクロでしょうか。

この頃、女優の沢口靖子さんやマドンナに憧れて、口元にペンでホクロを書いていたら本物になったと言われています。

後に、林檎さんのトレードマークともなったホクロですが、2003年の武道館公演のパフォーマンスで除去されました(実際には整形手術で除去)。

◆中学から“正しい街”へ

1991年、椎名林檎さんは再び父親の転勤により、福岡市早良(さわら)区室見(むろみ)へ引っ越しました。

思春期を過ごしたこの街は、林檎さんにとって“正しい街”となります。

都会では冬の匂いも正しくない
百道浜も君も室見川もない
『正しい街』より♪

林檎さんが通った中学校は、福岡市立百道(ももち)中学校。

学区表を見ると、室見2丁目~5丁目は高取中学校で、1丁目だけが百道中学校なので、実家は室見1丁目だったのでしょう。

林檎さんの人生のターニングポイントは、この中学校の時期だと言えます。

まず、幼少期より続けてきたピアノとバレエですが、バランスが取れない障害の影響で、中学2年の時に辞めています。

中学から福岡に引っ越してきているので、学校では転校生のような状態。

音楽的にも、実兄の影響でソウルやR&Bにはまり出した少女は、周囲と話が合わなかったのでしょう。

「中学校にはあんまり行ってなかった」と林檎さんも語っています。

十五に成ったあたしを 置いて女王は消えた
毎週金曜日に来ていた 男と暮らすのだろう
『歌舞伎町の女王』より♪

実際、この時期に母親が家を出たという事はありませんが、心の荒みは同じだったのかもしれません。


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そんな時に出会ったのが、バンドでした。

エレキギターを初めて触ったのが中学3年生のとき。

見よう見まねで弾き始めて、持ち歩いてはずーっと触っていました。

また、兄が持っていたドラムをこっそり叩いたりもしています。

そして初めて、女の子ばかりでバンドを結成。

林檎さんはドラムを希望しますが、もっと上手い娘がいたためボーカルをやることになり、ここで「椎名林檎伝説」は、小さな炎を灯したのでした。

◆高校時代に聴いたアイルランド少女の歌声

椎名林檎さんが通った高校は、福岡県立筑前高校。

偏差値60余りのそこそこの進学校なので、中学にあんまり行ってなかったことを考えると、地頭が良かったのでしょう。

筑前高校で軽音楽部に入部すると、曲づくりやライブハウスでのライブなど、活動を広げていきました。

同時に8つぐらいのバンドを掛け持ちし、ドラムやオルガンやベースなども担当しています。

音楽的には『BLANKEY JET CITY』をきっかけに再び邦楽も聞くようになり、洋楽ではレディオヘッドやビョークを聞いていました。

ヘッドフォンを耳に充てる アイルランドの少女が歌う
夕暮れには切なすぎる 涙を誘いだしているの?
『茜さす帰路照らされど…』より♪

この歌詞に出てくる「アイルランドの少女」はずっとビョークのことだと思っていましたが、ビョークはアイスランドの出身なんですね。


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正しくは、クランベリーズのドロレス・オリオーダンを指しているのだそうです。

◆aikoとの出会いで高校を中退

林檎さんは高校時代、『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンドのボーカル兼ギター担当として「ティーンズミュージックフェスティバル」に出場。

福岡地区大会で1位をとり、全国大会に進出しましたが、結果はいくつかのバンドと共に奨励賞に甘んじています。

この時、オリジナル曲をソロで伸び伸びと歌っていたのが、aikoさんでした。

林檎さんは後に雑誌の取材で、aikoさんに会ったこの日のことを「一生忘れません」と語っています。

aikoさんの姿に刺激を受けた林檎さんは、

“もっと曲を書きたい、音楽をする時間を増やしたい”

と、高校を2年生の途中で中退しています。

この時期、

“まわりの人達が自分を異端視しているんだ”

という事も感じていて、悩んでいた時期でもありました。

翌年、1996年に行なわれた、アマチュアミュージシャンコンテスト「ミュージッククエストジャパンファイナル」で、林檎さんはaikoさんと再会。

林檎さんは、バンドとして福岡大会にエントリーしていましたが、大会関係者の勧めで決勝大会ではソロに転じます。

この時初めて『椎名林檎』の名前を使い、決勝大会では『ここでキスして。』を、aikoさんは『ひまわりになったら』を披露しました。


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◆父親の職業は?

椎名林檎さんの父親の名前は、椎名興太郎さん。

年齢は、今年(2018年)で76歳になります。

浦和→清水→福岡へと転居を繰り返した林檎さんですが、父親の職業は、外資系石油会社勤務のサラリーマンでした。

父・興太郎さんは「レコード芸術」の愛読者でクラシック音楽を愛する一方、渡辺貞夫さんやビリー・ジョエルを愛聴していました。

土曜日は興太郎さんが料理をする日と決まっていたため、“土曜の夕方”になるとナベサダをBGMにキッチンに立つ父の姿がありました。

すごく素敵な光景ですね。


ランデブー [ 渡辺貞夫 ]

林檎さんの兄のブログによると、父・興太郎さんは定年退職後、一冊の本を書き起こしています。

作品の名前は

『椎名家の秘密~リンゴの父の備忘録~』

でした(゚д゚;)

そんな本があるのなら読んでみたいと思い、Amazonを探しましたが、中古を含めて出ていないようですね。

もう一度、お兄さんのブログをよく読んでみると、日付が4月1日なんですね。

すっかり騙されてしまいました(^_^;)

◆歌謡曲を愛する母親

椎名林檎さんの母親の名前は、椎名朋子さん。

母・朋子さんは、大学で舞踏を専攻し長くバレエをやっていたそうなので、林檎さんのバレエは母親仕込みだったのですね。

また、朋子さんは古い歌謡曲が好きで、五輪真弓さん、太田裕美さん、朱里エイコさん、大塚博堂、寺尾聡さん、来生たかおさん等をこよなく愛していました。

幼少期に母親の影響を受けた林檎さんは、「木綿のハンカチーフ(太田裕美)」「白い小鳩(朱里エイ子)」「東京の女(ザ・ピーナッツ)」などをカヴァーしています。


唄ひ手冥利〜其ノ壱〜 [ 椎名林檎 ]

ちなみに、林檎さんの本名「裕美子」は「太田裕美」さんから来ているのだとか。。。

豆知識としては、林檎さんの代表曲『茎(STEM)』の歌詞にある5文字の花の名前で「クレマチス(仙人草)」を提案したのも、母・朋子さんでした。

◆兄とのデュエット曲は?

椎名林檎さんにはお兄さんがいて、名前は椎名純平(しいな・じゅんぺい)さん。

1974年8月6日生まれなので、現在(2018年11月)44歳になります。

兄・純平さんは学歴がすごくて、めぐみ幼稚園→静岡大学附属小学校・中学校→清水東高校→城南高校(転校)→慶應義塾大学法学部です。

ちなみに慶應は中退ですが…

1999年、Sony Music SDM主催の「The Another Goal ’99」オーディションでグランプリを受賞。

2000年11月8日、個人レーベル「STRUTTIN’」からシングル『世界』でメジャー・デビューを果たしました。

林檎さんが『幸福論』でデビューしたのは1998年5月27日なので、デビューは妹の方が早かったですね。

そんな兄妹は、3度デュエットで共演しています。

2002年5月27日に発売された、椎名純平さんのカバーアルバム『discover』に収録されている『Where Is The Love』。


discover

2002年5月27日、兄とまったく同じ日に発売された林檎さんのカバーアルバム『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』に収録されている『玉葱のハッピーソング』。

そして、2007年に公開された映画『さくらん』のエンディングテーマ『この世の限り』です。

そんな兄・純平さんの私生活では、2000年に一般人の女性と結婚し、現在は二児の父親としての顔も持っています。

◆元夫・弥吉淳二さん

椎名林檎さんは、2000年11月に結婚しています。

旦那さんの名前は、弥吉淳二(やよし・じゅんじ)さん。

1968年5月17日生まれなので、林檎さんより10歳年上になります。

夫の弥吉さんは、林檎さんのバックバンド「虐待グリコゲン」の二代目ギタリストを務めていました。

当時、弥吉さんは既に結婚していたため、“不倫略奪できちゃった婚”が騒動に。

そんな2人の結婚生活は長続きせず、2002年1月にはスピード離婚となりました。

弥吉さんは林檎さんの他にも吉川晃司さん、aikoさんのサポートギターを担当し、編曲家としても多くの作品を手がけています。

そして2018年1月26日、病気のため49歳の若さで天国へ。

所属事務所によると、亡くなるまで約2年半の、闘病生活を送っていたとのことです。

◆子供の名前は?

椎名林檎さんは、元夫・弥吉淳二さんとの間に子供をもうけています。

子供は男の子で、2001年7月生まれなので、現在17歳ですね。

子供さんの名前ですが、空遥(そなた)さんではないかと言われています。

なんでも、兄・椎名純平さんがラジオでうっかり口を滑らしたのだとか。

純平さん、妹に怒られたかもしれませんね(^_^;)

◆現在の夫・児玉裕一さん

椎名林檎さんは現在、事実婚状態の旦那さんがいます。

現在の夫の名前は、児玉裕一(こだま・ゆういち)さん。

1975年8月20日生まれなので、林檎さんより3歳年上になります。

2人の馴れ初めは、林檎さんがボーカルを務めた『東京事変』のミュージックビデオを、映像ディレクターである児玉さんが手掛けたこと。

しかし、交際が始まったとされる2011年には、児玉氏にも奥さんがいたのだとか(゚д゚;)

後に離婚が成立していますが、林檎さんと入籍していないのは、この辺が関係しているのでしょうか?

◆2人目の子供

椎名林檎さんは児玉裕一さんとの間に、2人目の子供を授かっています。

2人目は女の子で、名前は乃亜(のあ)ちゃんというのだとか。

2013年生まれなので、今年(2018年)で5歳になります。

林檎さんは長女誕生の喜びを、ライブ会場で次のように報告しています。

そんな中、念願の女の子を授かりまして、現在育児中です。御免なさい。 
だけどその時御報告申し上げなかったのは赤ちゃんのリリースと、椎名林檎最新シングルのリリースが、見事にバッティングして居り、折角の真っ新な命を図らずも親の商売の宣伝に駆り出す恰好にしてしまうような事態を、危惧した為です。 
とはいえ、待望の出来事でしたから、御得意様には直接御目に掛かって早く御話ししたかったです。 

◆まとめ

これまで見てきたとおり、2人の夫、2人の子供たちと、人生を紡いできた椎名林檎さん。

2020年には東京オリンピックで“NIPPON”の心を、日本の子供たち、世界の子供たち、そして自分の子供たちにどのように伝えるのでしょうか?

今日、11月25日は、林檎さんの40回目の誕生日です。

《伝説のミュージシャンたち》

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