2017年8月28日、第80代内閣総理大臣を務めた政治家、羽田孜さんが老衰のため亡くなりました。
今回は、生前の羽田さんを支えた『家族』を紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
◆上の息子・羽田雄一郎
羽田孜さんには二人の息子さんがいます。
上の息子さんの名前は、羽田雄一郎(はた・ゆういちろう)さん。
1967年7月29日生まれになります。
雄一郎さんは東京都世田谷区生まれ。
成城学園中学校、敬和学園高等学校、玉川大学文学部芸術学科を卒業し、伊藤忠記念財団に勤めました。
1999年10月、参議院長野県選挙区補欠選挙に民主党公認で出馬し、初当選。
2012年6月4日に発足した野田第2次改造内閣において、国土交通大臣を務め、その後も民主党逆風の仲、議席を守り続けています。
追記
2020年12月27日、雄一郎さんは新型コロナウイルス感染症のために亡くなりました。
53歳という若さでした。
◆2番目の息子は?
羽田孜さんの2番目の息子さんは、羽田次郎(はた・じろう)さん。
1969年9月7日生まれなので、長男より2歳年下になります。
学歴は、成城学園中学校、アルザス成城学園を経てウェイクフォレスト大学に留学しました。
2011年に行われた世田谷区議会議員選挙に民主党公認で立候補し、落選。
2017年の衆議院議員総選挙に希望の党比例東京ブロックで立候補し、この時も落選しています。
ろまたん4日目終わり。
フロアトポロジー主宰・小崎愛美里と羽田孜総理の次男・羽田次郎さんが観にきてくれました。ありがとうございました!
指名されたカーテンコールのおふざけにお付き合い頂いた全てのお客様にも、ありがとうございました(笑) pic.twitter.com/7G1XbI5wDy— げんまい ごろう (@Gengoman) June 12, 2015
◆妻の名前は?
羽田孜さんの妻の名前は、羽田綏子(はた・やすこ)さん。
妻・綏子さんは、元カルピス会長・津下紋太郎(つげ ・もんたろう)氏の孫であり、元オカモト副社長・津下綱平(つげ・こうへい)氏の娘なのだとか。
絵に描いたようなご令嬢ですが、結婚当初、羽田さんは小田急バスに勤めるサラリーマン。
まさか政治家の妻となるとは思っていなかったそうです(^_^;)
2人の馴れ初めは、お見合いでした。
2回目のデートで遠回しにプロポーズをする羽田さんに対し、綏子さんは尋ねます。
それでお父さまの跡をお継ぎになることは?
綏子さんは東京生まれ。
羽田さんが政治家の父を継いで、選挙区である長野県住まいを余儀なくされるのは「まっぴら」という意味でした。
羽田さんはキッパリと言ったそうです。
僕は親父の跡は継ぎません
しかし、結局は長野県の地盤を継いで政治家となり、総理大臣にまで上り詰めるのですから、人生とは分からないものです。
綏子さんは本も出しています
◆父親も国会議員
羽田孜さんの父親の名前は、羽田武嗣郎(はた・ぶしろう)さん。
父・武嗣郎氏は、東北帝国大学を卒業後、朝日新聞に入社。
記者時代には、たまたま通りかかった代議士に
アカの記者
呼ばわりされたため、横っ面をひっぱたいて、大目玉をくらったというエピソードがあります(^_^;)
政治部記者から鉄道大臣秘書官となり、1937年、立憲政友会公認で衆議院議員総選挙に立候補し、当選。
戦後は自民党の結党に参加し、党副幹事長、衆議院建設委員長などを務めました。
◆母親も令嬢?
羽田孜さんの母親の名前は、とし子さん。
母・とし子さんは「志賀高原」を命名した長野電鉄の創設者・神津藤平(こうづ・とうへい)氏の娘なのだそうです。
お母さんもご令嬢なのですね(*^_^*)
◆まとめ
これまで見てきたとおり、羽田孜さんの周辺には、日本を司った中枢の方々の華麗なる家系図がありました。
ちなみに羽田さんの名付け親は、父・武嗣郎さんの東北帝国大学時代の恩師に当たる阿部次郎(あべ・じろう)さん。
あくせく働くを意味する
孜孜(しし)として働く
という言葉から取られました。
名前のとおり孜孜(しし)として働き、政界を掛け抜けた羽田さん。
しばらくは天国でゆっくりして欲しいと思います。
故人のご冥福をお祈り申し上げます。
総理大臣の家族!
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