昌子源の『家族』~結婚してお嫁さんが…?姉はモデル!父母について

鹿島アントラーズに所属する、昌子源(しょうじ・げん)選手。

今回は、そんな昌子選手を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

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◆結婚してお嫁さんがいる?

昌子源選手は、2017年1月5日、一般女性と結婚していたことを発表しました。

私事ではありますが、昨年の10月に入籍いたしました。シーズンが終わってから発表しようと思い、このタイミングになりましたことをお許しください。最高の人生のパートナーを得ましたので、より一層サッカーに集中し精進していきます。今後とも応援よろしくお願いいたします

お嫁さんについては一般女性という事で、名前や年齢などは公表されていません。

◆子供もいる?

昌子源選手に子供がいるかどうかも、公表されていません。

結婚してすぐに子供ができたと仮定すれば、ちょうど生まれるころではありますが…(*^_^*)

子供を公表するとしても、シーズンオフになるのでしょうね。

◆姉はモデル・昌子カエデ

昌子源選手にはお姉さんがいて、名前は昌子カエデさん。

1991年3月21日生まれなので、今年(2017年)で26歳になります。

姉のカエデさんは姫路獨協大学時代に姫路駅前でスカウトされ、ベルコWeddingのウェディングドレスショーにてモデルを経験。

2011年、ファッション誌「DECOLOG PAPER」誌で専属読者モデルデビューを果たしました。

その後は、日本では舞台やCMに出演する傍ら、アメリカではシンガーソングライターやアートディレクターとして活動しています。

姉・カエデさんの趣味は、サッカー観戦、映画音楽鑑賞、読書。

特技はリフティングで、大学生時代は、サッカー部でマネージャーを務めていたそうなので、やはりサッカーの血が流れていますね。

◆父はサッカー指導者

昌子源選手の父親の名前は、昌子力(ちから)さん。

父・力さんは1986年3月に大阪体育大学体育学部を卒業し、社団法人神戸フットボールクラブに入社しました。

1999年にはヴィッセル神戸とプロ契約を交わし、ユースの監督に就任。

現在は、姫路獨協大学のサッカー部監督を務めています。

このような経歴を持つお父さんですが、幼少期の昌子選手に

サッカーをやってみたら?

と言った事はありません。

本人がやりたいという意思を持つならやればいい

と考えていたそうです。

結果としてサッカーを始めた昌子選手ですが、その道は決して平坦なものではありませんでした。

◆母もサッカー選手?

昌子源選手の母親も、ママさんサッカーの選手だったそうです。

お母さんはおそらく、澤穂希選手よりも年上で、プレーしていたのは“なでしこJAPAN”が活躍するずっと前の話。

よほどサッカーに対するこだわりがあったのかもしれません。

そんな両親がいる昌子家では、ボールを蹴るという遊びは当たり前にあったといいます。

サッカーをやってみたら?

と声を掛けるまでもなかったのでしょうね。

◆実家で過ごした子供時代

昌子源選手が本格的にサッカーをやると言ったのは、小学生になってからのこと。

同じ小学校の友達がサッカーをやるから。

という理由でした。

父・力さんは、すでにサッカー指導者として自分のチームを率いており、自分のチームの試合が最優先。

昌子少年の試合には、母親が応援に駆け付けました。

サッカーのDNAと恵まれた環境にあった昌子少年は、小学校4年生で6年生の試合に出場するなど、能力が開花し始めます。

中学生になると、ガンバ大阪ジュニアユースに入団。

チームメイトには、アウクスブルクの宇佐美貴史選手やヴィッセルの大森晃太郎選手がいました。

しかし、中学2年に入る頃に膝を負傷して、満足にプレーできない日々が続いた揚句、中3の途中でガンバ大阪を退団します。

退団の理由は、選手としてというよりは人間的な部分で、中学生という多感な時期に起こる問題が原因でした。

完全にサッカーから離れてしまった昌子選手…。


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その頃、鳥取県で米子北高校のコーチを務めていた中村氏が、父・力さんに声をかけます。

源、どうするんですか?何も決まっていないなら、どうですか?

米子北高校は、関西から見ると強豪とは言えませんでしたが、

県外に出て、リセットするのも良いのではないだろうか

そう考えた力さんは、息子に語りかけました。

鳥取県の米子北という高校がある。行くか?

父からの提案に、

サッカーはやらんぞ。まぁ一度行ってみるのはいいけど

昌子選手は、そう答えたといいます。

◆まとめ

お母さんと共に米子北高校を訪れた昌子源選手に、中村コーチは、

ちょっと蹴ってみろ

と誘います。

スパイクも練習着も持ってきていない…

そう言った昌子選手に、お母さんは黙って練習着とスパイクを差し出しました。

結果として、久しぶりにボールを蹴った昌子選手。

そこで、何かが動きます―。

米子から帰ってきた息子の表情は、明らかに行く前とは違っていたそうです。

鳥取への訪問のきっかけを作った父。

スパイクと練習着を黙って持って行った母。

それは、家族がくれた、大切なターニングポイントとなりました。

この日がなければ、今の昌子源選手は誕生していなかったかもしれません。

《SAMURAI BLUEの家族!》

監督・主将

GK・DF

MF

FW

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