2019年5月1日から新しい時代の象徴となられた、徳仁天皇陛下。
今回は、徳仁天皇陛下を育み、そして支え合う『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
御称号:浩宮(ひろのみや)
生年月日:1960年2月23日
年齢:59歳(2019年5月現在)
◆皇后雅子様
①皇后雅子様のご実家
徳仁天皇陛下の皇后は、雅子(まさこ)さま。
1963年12月9日生まれなので、徳仁さまより3歳(4学年)年下になります。
皇后さまの旧名は小和田雅子(おわだ・まさこ)さんで、実家のお父上は外交官を務めた小和田恆(おわだ・ひさし)さんです。
小和田家のルーツは、現在の新潟県村上市を治めていた村上藩内藤家五万石の下級武士。
父・恆さんも新潟県の出身で、新潟県立高田高等学校を卒業後、東京大学へ進学しました。
そして東京大学教養学部とケンブリッジ大学大学院を卒業し、外務省へ入省すると、事務次官にまで昇りつめます。
在職中は在米大使館公使、在ソ連大使館公使、国連大使、国際司法裁判所所長などの要職を歴任し、2018年6月まで同裁判所の判事を務めました。
雅子様のお母様の名前は、小和田優美子さん。
母・優美子さんもスーパーウーマンで、慶応義塾大学を卒業後、エールフランス航空の東京支社長秘書を経て、恆さんと結婚しています。
②皇后雅子様の華麗なる学歴と経歴
皇后雅子様は、そんなエリート一家の第一子として、東京・虎ノ門病院で生まれました。
1歳の時、父・恆さんの旧ソ連赴任に伴い、モスクワへ転居。
4歳の時にはアメリカへ転居し、そのままニューヨーク市立第81パブリックスクールへ入学しています。
7歳で日本へ帰国すると、目黒区立原町小学校1年に編入。
その後、新宿区立富久小学校を経て、8歳で田園調布雙葉小学校3年に編入しました。
その後は雙葉中学校、雙葉高等学校へ進学しますが、再び15歳で米国マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに編入。
「High Honor student (最優等学生)」と認められるほど成績優秀だった雅子様は、17歳でハーバード大学経済学部に入学しました。
ハーバード大では数理経済学を専攻し、卒業時には成績優秀な学生に贈られる「Magna Cum Laude(優等賞)」を受賞しています。
ハーバードを卒業しても、雅子様の向学心は収まりません!
なんと、22歳にして東京大学法学部3年に学士入学。
ここで、村角泰(むらずみ・やすし)元大使の娘が外交官になったことに刺激を受けて、外交官を志すようになります。
外務公務員採用Ⅰ種試験(外交官試験)をパスすると、東京大学を中退して外務省に入省したのでした。
このような経歴を持つ雅子様は、外務省入省時から非常に期待が高かったといいます。
その大物ぶりに、当時のメディアは『清原級ルーキー』と呼んでいたのだとか(*^^)v
③皇后雅子様との馴れ初めは?
徳仁天皇陛下と皇后雅子様の馴れ初めは、1986年10月18日。
その日は東京・元赤坂の東宮御所で、スペイン・エレナ王女の歓迎レセプションが行われていました。
雅子様は、まだ外務省入りする前で、外務省幹部だった父・恆さんのご令嬢としてレセプションに出席。
緊張気味に挨拶をする雅子様に対し、当時の徳仁さまは穏やかに話をされ、会話は少しずつ弾んだと言います。
当時、徳仁さま26歳、雅子さまは22歳でした。
徳仁さまは周囲に、
外交官のすばらしい女性がいるんです
と、少し興奮気味に話されていたそうなので、運命の歯車はすでに回り始めています。
その後、日英協会主催のパーティーや高円宮邸の茶会、東宮御所での夜の茶会などでお2人が同席する機会が増えたのは、偶然ではないでしょう(*^_^*)
雅子さまの英国留学などで、一時交際が途切れた時期もありましたが、1992年8月に再会。
同年10月には、千葉県市川市の新浜鴨場(しんはまかもば)で、徳仁さまがプロポーズされました。
雅子さまは、外交官というキャリアを捨てて皇室に入ることに悩みましたが、
いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生、全力でお守りしますから
とする徳仁さまのお言葉に、結婚を受諾しています。
◆ご令嬢・愛子さま
①内親王愛子さま
徳仁天皇陛下と皇后雅子様の間にはご令嬢がいて、御称号は敬宮(としのみや)、全名は愛子(あいこ)さま。
2001年12月1日生まれで、最年少の女性皇族です。
幼稚園から学習院に入られた愛子さまも、今では学習院女子高等科の2年生。
小学校時代には不登校などの問題もありましたが、今では『嵐』がお気に入りの女子高生となりました。
友達とカラオケに行ったり、ディズニーランド、富士急ハイランドに出掛けるなど、青春を謳歌しているようです。
②愛子さまの志望大学
一方、そろそろ進学先が気にかかる時期でもありますが、どのように考えられているのでしょうか?
週刊FLASH(2018年4月17日号)によると、
“国立では一橋大と筑波大、私立では上智大、国際基督教大が選択肢に挙がっています。英国の交通史を専攻された皇太子殿下の影響を強く受け、希望の専攻は史学だそうです”
ということ。
いずれも相当の難関大学ですね!
一方、女性自身(2018年4月20日号)によると、
“雅子さまの母校である東大、上智、ICU(国際基督教大学)などの受験をやめて、学習院大学への内部進学を決められた可能性が高い”
とされています。
ほぼ同時期の報道が、正反対の内容であることから見ると、まだはっきりと分からないということなのでしょう。
ちなみにお受験は、徳仁新天皇の即位と同じ年度となります。
新天皇一家にとって、2019年度は大きな節目の年となりそうです。
◆父・上皇陛下
徳仁天皇陛下のお父上は、上皇陛下。
御称号は継宮(つぐのみや)、諱は明仁(あきひと)様です。
1933年12月23日生まれになられます。
上皇陛下のご学歴は、幼稚園から大学まで学習院。
小学校低学年のころの今上天皇は、どちらかというと消極的で表現力に乏しく、先生に質問されてモジモジされることがありました。
教室には「傅育官」という専任の教育係がいて、殿下に対して
“しっかりしなさい”
と背中を強く叩かれていたそうです。
将来、君主として人前に立つための修行だったのでしょう。
学習院大学政治経済学部2年生の時には、昭和天皇の名代として、エリザベス二世の戴冠式に参列するため渡英。
半年にわたる外遊となったため単位不足となり、3年に進級できなくなってしまいます。
学習院側も特別扱いをせず、殿下の留年が決定。
かくして明仁天皇は大学を中退し、以後は聴講生として学ぶことになりました。
宮内庁のHPを見ると、明仁天皇のご学歴欄には、
学習院大学教育ご終了
とされています。
ちなみに、昭和天皇も大正天皇も、学習院を中退しています。
もっとも「御学問所」で帝王学を修めるため、ということなので、今上天皇とは事情が異なるようですね。
◆母・美智子上皇后
徳仁天皇陛下のお母上は、上皇后陛下。
諱は美智子(みちこ)様、結婚前の旧名は正田美智子さんです。
1934年10月20日生まれなので、現在(2019年5月)84歳になられます。
ご実家の正田家は、日清製粉グループの創業家。
美智子さまの父・正田英三郎氏も、日清製粉グループ本社の社長や会長を歴任しています。
今上天皇と美智子さまの馴れ初めは、長野県の軽井沢会テニスコートで開催されたテニスのトーナメント大会でした。
この出会いは「テニスコートの出会い」として、広く知られていますね。
当時は民間出身のお妃など考えられなかった時代なので、お2人の結婚には反対も多く、ご苦労も多かったと思います。
美智子皇后は84歳の誕生日を迎え、
“皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく――そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います”
と、感想を語っています。
◆秋篠宮様
徳仁天皇陛下には弟がいて、御称号は秋篠宮(あきしののみや)、全明は文仁(ふみひと)様です。
1965年11月30日生まれなので、現在(2019年5月)53歳になられます。
お妃は紀子(きこ)さま。
お子様は眞子(まこ)さま、佳子(かこ)さま、悠仁(ひさひと)さま。
眞子さまはご結婚問題で、佳子さまはアイドル的目線で、そして悠仁さまは41年ぶりの親王として、いずれも大注目を集めていますね。
◆黒田清子さん
徳仁天皇陛下には妹もいて、御称号は紀宮(のりのみや)、全名は清子(さやこ)様です。
1969年4月18日生まれなので、陛下より9歳(10学年)年下になります。
2005年11月15日に、東京都職員の黒田慶樹(くろだ・よしき)さんと結婚。
現在は民間人・黒田清子さんとなっています。
ちなみに、新元号「令和」が発表される前夜(2019年3月31日)、上皇と上皇后陛下は、お忍びで黒田さん宅を訪れました。
退位された後は自由な時間が増えるので、黒田家を訪問する機会も増えられそうですね。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、徳仁天皇陛下の華麗なる家系図の裏側には、心で支え合う『家族』の姿がありました。
新しい時代の象徴として、新天皇ご一家への注目はますます高まりそうですね。
コメント
平成天皇と書くとは何たること!開いた口が塞がらない!
ご指摘有難うございます。
表現を修正しております、大変失礼いたしました。