皇嗣(こうし)殿下として第1位の皇位継承権を有する、秋篠宮文仁さま。
今回は、そんな秋篠宮さまを取り巻く『家族』の物語です。
◆生い立ち
秋篠宮文仁さまは、1965年11月30日、東京都千代田区の宮内庁病院で生まれました。
幼少時の御称号は礼宮(あやのみや)さま。
博く文を学び、これを約するに礼をもってすれば、またもって畔(そむ)かざるべし
と言う「論語」の言葉が由来となっています。
幼少期はヤンチャな性格で知られ、学習院幼稚園時代のお気に入りの遊びは「タイガーマスクごっこ」。
お友達を泣かせて、美智子さまが相手の母親に、何度も謝罪の電話をされていたのだとか。[1]
学習院初等科に上がると、黒田慶樹(くろだ・よしき)さんと知り合います。
黒田さんとは、
- 学習院初等科
- 学習院中等科
- 学習院高等科
- 学習院大学
を通じて友人関係にあり、高等科時代は写真部・地理研究会、大学時代も自然文化研究会で行動をともにしました。
後に黒田さんは、妹の紀宮さまと結婚しています
◆家族構成
秋篠宮さまの実家の家族構成は、父、母、兄、秋篠宮さま、妹の5人家族です。
自身のご家族も、妻と娘2人、子息が1人で、5人家族となっています。
◆父・上皇明仁さま
秋篠宮さまの御父上は、上皇明仁(あきひと)さま。
1933年〈昭和8年〉12月23日生まれになります。
上皇さまは、学習院幼稚園を卒園後、学習院初等科へ進学。
初等科2年次に日米戦争が開戦し、6年次には疎開先の奥日光で、敗戦の玉音放送をお聞きになりました。[2]
その後、学習院中等科、学習院高等科をそれぞれ卒業。
高等科2年の時は、馬術部の主将をつとめました
大学は学習院大学に進学しますが、半年間外遊した影響で単位不足となり、やむを得ず中退されています。
以後は、聴講生として学業を継続されたそうです
◆母・上皇后美智子さま
秋篠宮さまの御母上は、上皇后美智子(みちこ)さま。
1934年〈昭和9年〉10月20日生まれなので、上皇陛下より1歳年下になります。
美智子さまは東京府東京市(東京都)の出身。
- 雙葉学園雙葉小学校附属幼稚園
- 雙葉学園雙葉小学校
をそれぞれ卒園、卒業しますが、中学からは通学のことを考え、
- 聖心女子学院中等科
- 聖心女子学院高等科
- 聖心女子大学文学部外国語外国文学科
に通いました。
聖心女子大は首席で卒業し、卒業式では総代として答辞を読んだそうです!
上皇さまとの馴れ初めは、長野県の軽井沢会テニスコートで開催されたテニスのトーナメント大会で出会ったこと。
この出会いは国民から『テニスコートの出会い』と呼ばれ、その後もお2人はテニスを通して交際を深められました。[3]
実際に結婚が決まると、民間初のプリンセスとして祝福を受ける一方、旧皇族・旧華族には強く反対されます。
結婚後も苦労が多かったといいますが、上皇陛下を中心とした『家族』のおかげで、乗り越えてこれたのでした。
◆兄・天皇徳仁さま
秋篠宮さまの兄君は、天皇徳仁(なるひと)さま。
1960年〈昭和35年〉2月23日生まれなので、秋篠宮さまより5歳(6学年)年上になります。
徳仁さまは、宮内庁病院で生まれ、
- 学習囲幼稚園
- 学習院初等科
- 学習院中等科
- 学習院高等科
- 学習院大学文学部史学科
をそれぞれ卒業されました。
徳仁さまが結婚したのは1993年6月9日、33歳のとき。
お相手は当時外交官だった、小和田雅子(おわだ・まさこ)さんです。
◆妹・黒田清子さん
秋篠宮さまには妹もいて、名前は黒田清子(くろだ・さやこ)さん。
1969年〈昭和44年〉4月18日生まれなので、秋篠宮さまより4歳年下になります。
清子さんの称号は紀宮(のりのみや)さま。
年少の1年間のみ柿の木坂幼稚園に通い、以降は、
- 学習院幼稚園
- 学習院初等科
- 学習院女子中等科
- 学習院女子高等科
- 学習院大学文学部国文学科
をそれぞれ卒業しました。
2005年11月15日、36歳で結婚。
お相手は、秋篠宮さまの親友で、東京都職員の黒田慶樹(くろだ・よしき)さんです。
結婚披露宴には、歴代天皇として初めて天皇陛下夫妻(当時)が出席。
乾杯のあいさつは、東京都知事(当時)の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏が務めたのだそうです。[4]
◆皇嗣妃・紀子さま
秋篠宮さまは1990年6月29日、24歳で結婚されています。
御妃となられたのは、旧名・川嶋紀子(かわしま・きこ)さん。
1966年〈昭和41年〉9月11日生まれなので、秋篠宮さまより1歳年下になります。
紀子さまは、静岡県静岡市で生まれましたが、学者のお父様の仕事の都合で転居を繰り返し、
- フィラデルフィア市立ヘンリー・C・リーエレメンタリースクール
- 静岡市立中田小学校
- 新宿区立早稲田小学校
- 豊島区立目白小学校
- 学習院初等科
- アメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナ
と、6つの小学校に通っています。
中学からは転居することもなくなり、
- 学習院女子中等科
- 学習院女子高等科
- 学習院大学文学部心理学科
をそれぞれ卒業しました。
秋篠宮さまとの馴れ初めは、学習院大学構内の書店で、店主から、
こちら、川嶋教授のお嬢さまです
と、紹介されたこと。[5]
秋篠宮さまは、自身が結成した『自然文化研究会』に紀子さまを勧誘し、2人の関係は親密なものとなっていきました。
プロポーズは、常連だった目白のスナックの帰り道でのこと。
秋篠宮さまは駅近くの交差点で信号待ちをしていた時、
私と一緒になってくれませんか?
と、ストレートにプロポーズされました。
突然の求婚に驚いた紀子さまは、
よく考えさせていただけませんか
と返答しましたが、後に結婚を承諾。
1989年9月に婚約が内定し、1990年6月29日に結婚の儀が執り行われました。
◆長女・眞子さま
秋篠宮さまの長女のお名前は、眞子(まこ)さま。
1991年〈平成3年〉10月23日生まれになります。
眞子さまは、
- 学習院幼稚園
- 学習院初等科
- 学習院女子中等科
- 学習院女子高等科
をそれぞれ卒業。
しかし、大学は皇族としては珍しく、国際基督教大学(ICU)に進学しました。
眞子さまは、2012年6月に渋谷区のビストロ店で開催された『交換留学出発前交流会』に参加。[6]
ここで出会ったのが、のちに結婚の約束を交わした、小室圭(こむろ・けい)さんでした。
その後、小室さんの母親の借金問題が浮上し、2人の結婚は大きな壁に阻まれることになります。
小室さんは眞子さまにふさわしいのか?
と、国論を二分する議論となっていますが、無事、ゴールまでたどり着けるのでしょうか?
◆次女・佳子さま
秋篠宮さまの次女のお名前は、佳子(かこ)さま。
1994年〈平成6年〉12月29日生まれなので、眞子さまより3歳年下になります。
佳子さまは、
- 学習院幼稚園
- 学習院初等科
- 学習院女子中等科
- 学習院女子高等科
を、それぞれ卒業。
大学は、学習院大学文学部の教育学科に進みましたが、2年次の8月31日付で中途退学しました。
中退の理由は、
- 皇族の佳子さまが将来、教師になることは難しく、友人たちと自分との温度差を日に日に感じるようになった
- 紀子さまから「サークル禁止令」を出され、キャンパスライフをエンジョイすることができず、学習院での大学生活に失望していった
と言われています。[7]
そして、その年の10月、AO入試により国際基督教大学(ICU)に合格。
ICUは無事に、2019年3月で卒業しています。
◆長男・悠仁さま
秋篠宮さまの長男のお名前は、悠仁(ひさひと)さま。
2006年〈平成18年〉9月6日生まれなので、佳子さまより更に12歳年下になります。
悠仁さまは、皇族として初めて、お茶の水女子大付属幼稚園に入園。
その後も、
- お茶の水女子大学附属小学校
- お茶の水女子大学附属中学校
へと通っています。
悠仁さまが学習院に通わなかった理由は、
- 学習院のOBやOGの中には『秋篠宮さまの学年は優秀ではないのに落第生がいない』と吹聴する人がいる
- 愛子さまの受け入れ準備のため、眞子さまや佳子さまの在学中、初等科や女子中・高等科の改修工事が続いた
などにより、紀子さまが学習院に対して、不信感を抱いたためだと報道されています。[8]
◆まとめ
これまで見てきた通り、秋篠宮さまの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、秋篠宮さまの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- 女性セブン 2019年7月11日号 秋篠宮さま 子供時代は暴れん坊、学生時代は要領いいタイプ
- FRIDAY 2019年08月15日 宿泊施設として生まれ変わる「玉音放送の間」
- 週刊朝日 2017年8月18-25日号 テニスコートの出会いから60年 美智子さま軽井沢の恋
- 読売新聞 2005年11月16日 紀宮さまと黒田さん、披露宴で118人が門出を祝う
- 女性セブン 2019年6月29日 秋篠宮さま、紀子さまとの出会いと婚約時の世間の反応
- 週刊女性 2017年9月12日号 眞子さま、ICUで言い寄ってきた男子学生をどのようにお断りしていたのか
- LITERA 2015年4月8日 佳子さまはなぜ学習院を中退したのか!? セクハラ、イジメ…名門校に不祥事続出
- 女性自身 2019年10月10日 紀子さま 学習院は断固拒否!悠仁さま進路に“屈辱の記憶”
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