2019年9月12日、衆議院議員の宮川典子さんが、乳がんのため亡くなりました。
今回は、生前の宮川さんを支えた家族をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
◆結婚目前で出馬
宮川典子議員には結婚歴はなく、生涯独身でした。
「結婚しよう」と言ってくれた交際相手がいましたが、宮川議員が選挙に出ることになり破局したそうです。
初出馬の時だとしたら、2010年なので、宮川議員が31歳のときのお話ですね。
◆実家は山梨の酒屋
宮川典子議員は、山梨県山梨市の出身。
祖父は、かつて教育長を務めた地元の名士です。
実家は地元の商店街の一角で、酒屋を営んでいました。
宮川議員の学歴は、
- 山梨学院大附属幼稚園
- 山梨市立日下部小学校
- 山梨英和中学校
- 山梨学院大学附属高等学校(現・山梨学院中学高等学校)
- 慶應義塾大学文学部人間関係学科
です。
大学を卒業後は、教師として母校の山梨学院大学附属中学高等学校に英語教師として勤務しています。
◆早逝した父親
宮川典子議員の父親は、山梨の方。
結婚した当初は東京で働いていましたが、
子供はどうしても山梨で育てたい
という父親の強い要望で、山梨に帰って家族を養いました。
山紫水明の地・山梨が大好きだったお父さん。
決して奢らず、謙虚で頑固だったお父さん。
そんな最愛のお父さんは、末期癌のため49歳で亡くなっています。
当時10歳だった宮川議員は、数ヶ月間は、毎日涙に明け暮れていました。
でも、家族の笑顔が好きだったお父さんのために、残された家族3人は元気を振り絞って生きてきました。
◆教師だった母親
宮川典子議員の母親も山梨の方で、実家は製糸業を営んでいました。
母親自身は高校の英語教師でしたが、お父さんとお見合い結婚をしています。
宮川議員が教職免許をとったのは「母親も持っているし」という理由だったそうです。
教職免許を取ったら、母校から「免許を取ったなら、母校に恩返しを」というお誘いがあり、教師の道へと進んでいます。
そして、教師としての経験が政治を志すきっかけとなるのですから、人生とは運命と巡り合わせがミックスされたものなのですね。
◆弟も教師
宮川典子議員には、弟が1人います。
弟さんの職業も教師だそうです。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、宮川典子議員の活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
志半ばで非常に残念ですが、せめて天国のお父さんとの再会を果たして欲しいと願います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
◇編集後記
教育者でもあった宮川典子議員は、「机上の空論」で進められる教育行政に危機感を感じていました。
心の教育よりも前に実施されようとしているデジタル教育の波を押し止めたい…
という思いを胸に、ペンをとった著書がこちら。
現場を知る教育者の意見は重いと思います。
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