埼玉西武ライオンズの「牧やん」こと、牧田和久(まきたかずひさ)投手。
今回は、そんな牧田投手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は静岡県焼津市
牧田和久投手の実家は、静岡県焼津市。
増井浩俊投手(日本ハム)、川端崇義選手(オリックス)とは、同じ焼津出身の同学年に当たります。
川端選手とは小学生の時に対戦したことがあり、川端選手に言わせると
当時は僕の方がいいピッチャーでしたよ(笑)
とのこと(^_-)
その後、焼津市立小川中学校を経て静清工業高に進学した牧田投手は、高校1年生の秋にアンダースローに転向します。
転向した理由について、
同学年に140キロを投げる投手がいた。うちの高校は毎年、(2番手として)打者の目先を変える技巧派を用意していたので
とは本人談。
しかし、当時の野球部長の考えは違っていました。
球の速い子はほかにいたが、野球センスは牧田のほうがあった。下半身もできてきて、下手にしたら伸びしろがある
転向が功をそうして、2年の秋からはエースの座に定着した牧田投手でしたが、3年夏の静岡県大会は調子を崩してベスト16で敗退。
甲子園には縁がありませんでした。
◆父親の職業は?
牧田和久投手のお父さんの名前は、牧田能之さん。
年齢は、今年(2017年)で61歳になります。
父・能之さんの職業は、車の部品を設計する仕事で、家でパソコンを使って黙々と仕事をこなしていました。
どちらかというとインドア派のお父さんは、性格もやさしく、寡黙な方。
牧田投手自身も
結構家でまったりしてることが多い(^^)
ということなので、性格はお父さんに似ているようですね(*^_^*)
◆母親の名言
一方、牧田和久投手のお母さんは活発な方。
もう男みたいな性格ですね
と言うのは牧田投手談ですが、確かにそれを裏付けるいくつかのエピソードがあります。
まずは高校時代。
高校野球が終わり、高校生活も終わりに近づいたころ、
あんた高校卒業したら家出て行きな
とお母さんに言われたのだそうです∑(゚Д゚)
家を出て、都会で自分のやりたいことをやって、落ち着いたら帰ってくればいいじゃない
と言うことを言いたかったようですが、突然「出て行け」と言われ、牧田投手はビックリしたことでしょう(^^;)
また、常日頃から、
あんたは一番になれるタイプではないのだから、自分の持っているものをそのまま出しなさい
とも言われていました。
この教えがあったからこそ、アンダースローへの転向を受け入れて、結果としてプロ入りする事が出来たのですが…
正面から親に「一番になれない」と言われると、正直へこみそうですね(^^;)
最後は、社会人時代に右ヒザ靭帯を断裂し、1年間投げれない状況に陥ったとき、
もう一度じっくり考える時間。神様が与えてくれた時間
とかけられた母の言葉。
この言葉のおかげで、チーム全体を見回す余裕が生まれ、野球を止めようなどと後ろ向きな気持ちにはならなかったそうです。
以上、お母さんの名言集でした(^_^)v
◆姉の結婚式で涙…
牧田和久投手には、お姉さんがいます。
牧田投手は、お姉さんの結婚式で泣いてしまったのだとか(T_T)
泣いたシーンは、結婚式で定番の新婦の手紙。
そこで、お姉さんは
お父さんから優しさを学び、お母さんから厳しさを学びました
と読み上げたそうで、普通は逆なんでしょうけど、牧田家ならではのツボがあったのだと思います。
実は、
姉ちゃんがもう嫁に行ったっていうのが嬉しくて泣いた
という理由もあったのだそうです(*^_^*)
そんなお姉さんも男の子を授かっており、牧田投手は
かずちゃんかずちゃん遊ぼう♪
とせがまれ、毎日遊び相手で大変なのだそうです。
◆結婚と子供に対する考えは?
牧田和久投手は現在(2017年3月)32歳で、結婚していてもおかしくない年齢ですが、独身を貫いています。
以前、トークショーで司会者に
結婚願望はありますか?
と質問された時は。
自分はあります。姉の子供はかわいいですし、野球選手の間に欲しい。
と返答。
自分の子供にプレーする姿を見せたいのだそうなので、現役生活を考えると、早く結婚した方が良さそうですね(^_-)
◆まとめ
牧田和久投手が、2016年新春に参加したトークショーのテーマは
牧田投手の心の鍵を開ける!
でした。
しかし牧田投手は、
自分は心の鍵は開けません(笑)多分、開けるのは家族だけだと思います!
とコメント。
まだ見ぬ『家族』のため、これからも牧田投手はマウンドに立ち続けることでしょう!
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