◆事故死した弟
麻生太郎さんには弟がいて、名前は麻生次郎(あそう・じろう)さん。
弟の次郎さんは学習院大学のヨット部に所属していました。
しかし、1969年3月20日、ヨット部の5人が乗り込んだ翔鶴号が、三浦半島沖合で遭難。
その後、乗組員全員の死亡が確認され、次郎さんもその中の1人でした。
船の捜索には海上保安庁だけでなく自衛隊も駆り出されており、
元首相の親族がいたからではないか?
という批判が出ています。
◆妹の信子さんは皇室へ
麻生太郎さんには妹がいて、名前は信子さん。
1955年〈昭和30年〉4月9日生まれなので、麻生さんより15歳年下になります。
信子さんは、聖心女子学院初等科・中等科を経て、イギリスの花嫁学校ロスリンハウス・カレッジを卒業。
卒業後は、信子さん自身も通っていた松濤(しょうとう)幼稚園に、英語講師として勤めました。
1972年2月、なんと16歳の時、寬仁親王(ともひとしんのう、当時26歳)から求婚を受けます。
当時はまだ高校生で若すぎるということもあり、8年後の1980年11月7日に皇室に嫁ぎました。
2012年に寬仁親王が亡くなる前後には体調を崩され、表舞台から姿を消していましたが、最近、復調されているようです。

◆実家・麻生家の華麗なる家系図
麻生太郎さんの実家は、九州の財閥としてその名を知られる「麻生家」。
麻生家はもともと、古い士族の末裔でしたが、いつのころからか筑豊の村を治める庄屋になっていました。
麻生財閥の創始者は、麻生さんの曽祖父である麻生太吉(あそう・たきち)氏。
〈麻生太吉日記 第1巻〉
太吉氏は炭鉱開発を皮切りに、金融、鉄道、電力と事業を拡大し、一大勢力を築きました。
エネルギー革命後は、主要産業をセメントに移し、現在は医療・教育・建設分野で事業を行っています。
麻生さんの母方の祖父は、昭和の名宰相・吉田茂(よしだ・しげる)氏。
さらに家系図をたどると、「維新三傑」の大久保利通(おおくぼ・としみち)氏にまでたどり着いてしまいます。
まさに、日本のサラブレットと言って差し支えありません。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、麻生太郎さんの活躍の背景には、華麗なる家系図が存在しました。

一方で、気さくで明るい人柄は多くの人の心をつかみ、「半径2メートルの男」とも称されています
華麗なる家系図と魅力ある人柄で、麻生さんの活躍はこれからも続いていくことでしょう(^o^)丿
◇編集後記
帽子やスーツなど、ファッションにこだわりのある麻生太郎さん。
そんな麻生さんが愛用する腕時計を見つけました。
#麻生太郎 大臣が35万のスーツでなんか話題になっているが、スーツ袖から覗く #ブレゲ の腕時計に言及できてない時点で話題を提示した人の頭の良さをおさっしできてほっこりできた。
pic.twitter.com/KgY7kEnScO
— 3200たか (@3200taka) April 23, 2018
これはブレゲのツインバレルですね。
“ブレゲ”は1775年にパリで創業し、マリーアントワネットやナポレオンも愛したという高級老舗ブランドです。
この時計が似合う日本人は、そう多くはいないでしょうね(^_-)

◇脚注
- 首相官邸ホームページ 2021年3月17日確認 麻生総理(当時)プロフィール
- 毎日新聞 2020年1月7日 飯塚JC理事長、麻生将豊氏就任 新役員発表 /福岡
- Wikipedia 2022年7月15日確認 麻生太郎 家族・親族

菅内閣の家族!










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